2011年6月17日金曜日

松永聴剣という人物

祖父の死後倉庫から古い書簡や写真、軸などが出てきた。

所管類の宛名には「松永彦右衛門」や「松永聴剣」という人物の名前が記されていた。

かなり有名な人物からの手紙も多く、これはなかなかの有名人なのかなと思い、調査を開始することにした。


まず、このエントリーでは松永聴剣という人物の簡単なプロフィール紹介する。






 松永彦右衛門は、本名は久邦、号は聴剣で、慶應3年9月10日但馬国(兵庫県)城崎郡豊岡生まれである。

彦右衛門は通称で代々名乗っており、久邦の父も彦右衛門を名乗っている。


松永家については、記録に「松永家其先弾正久秀公ニ出ヅ」とあり、松永久秀の流れであると書かれているが真偽は不明。

丹後國田邉にて京極氏に仕え、京極氏転封と共に豊岡に移り、その後帰農した。


しかし、家業の醤油醸造で財をなし、藩に軍資を献上することにより苗字帯刀を許され、再び松永を名乗ることとなったようである。

さらに、松永は豊岡特産の柳行李に出資をし、その販路拡大に務めた。

豊岡市史にも出資者の一人として松永彦右衛門の名前がある。

豊岡には鳥居や灯籠を建てるなどしており、地元では裕福な家であったようだ。



維新期には東京(小石川)へ進出し会社の理事に就任するなど活躍するが、最後は借金を抱え没落してしまう。


栄えた時期には、東京帝国大学近く(本郷あたり)でサロンを開くなどし、帝大生などが出入りしていた。聴剣には三人の娘がいたが、当時は美人で知られ「本郷小町」と呼ばれていたとか。。。

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